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グルーバルな内戦に対抗するために、世界中で社会革命が必要だ!

CNT-AITフランスの活動家有志による声明「グルーバルな内戦に対抗するために、世界中で社会革命が必要だ!」(Against the global civil war, we need a social revolution in the world! by Some activists of CNT-AIT France) http://kansaianarchismstudies.blogspot.com/2021/05/against-global-civil-war-we-need-social.html 原文掲載日:2021年5月13日 原文:http://cnt-ait.info/2021/05/13/civil-war/著者:CNT-AITフランス 2021年5月12日、ガザの民間人が残虐な軍事攻撃を受けた。イスラエルでは耐え難いほどのリンチ殺人も行われており、私達はその光景を目の当たりにしている。 権力による人間性に対する犯罪によって民間人・女性・子供たちが虐殺されるのは、これが歴史上初めてではないし、ガザが世界で唯一の場所というわけでもない。現在起こっていることの例を挙げよう: ・公式の統計(FAO、国連食糧農業機関)によれば、世界で毎日2万5千人が餓死しており、その内1万人は子供たちである!・コロンビアでは、4月28日以来、軍・警察・民兵団が社会的不公正に対して叛乱を起こしている人々を暗殺し、何の罰も受けていない。・あらゆる「民主的国家」が見捨てたシリア北部のロジャヴァで、革命家達が、トルコ軍と大量殺戮を繰り返すイスラム原理主義者とに単独で立ち向かっている。・イエメン、新疆ウイグル自治区、ビルマ、シリア、ベネズエラで、何百万もの民衆が強制退去させられたり、拷問されたり、虐殺されたりしているが、ほとんど知られていない。 こうした蛮行全てを永続させているのが国家と政治家である。国家も政治家も私達の苦しみから利益を得ている資本主義システムを支持しているのである。 ガザ地方で爆撃を受けた被害者との連帯を表明する大規模な運動は、権力が利用するあらゆるイデオロギー、つまりナショナリズムと宗教こそがこの殺人論理の支柱になっていることを忘れてはならない。この論理が人々を互いに殺しあうようにさせ、世界の指導者に利益をもたらしているのである。 香港からスーダンやアルジェリア、チリからフランスのイエローベストまで、民衆叛乱は世界を揺るがし、殺人的社会システムに対する世界規模の闘争に拡大している。現在のガザ住民との連帯は、こうした全ての民衆叛乱と共にあると表明すべきである。そうすることで、我々の連帯はより強く、より手ごわいものになるだろう。 ガザでも他の場所でも虐殺を防ぐことは、国や国境のない世界を求めて戦うことである。だからこそ、戦争に反対し、IDF(イスラエル国防軍)の制服着用を拒否しているイスラエルの友人に私達は敬意を表する。私達は、腐りきった国家に対して見事な闘争を主導しているコロンビアの同志達に敬意を表する。私達は、大量虐殺という蛮行と戦っているロジャヴァの友人達に敬意を表する。そして、もっと広く言えば、様々な場所で、いかなる譲歩もせずに平和と自由を擁護し、友愛を持って集まり、国境を超えて団結している人々皆に敬意を表するのである。 あらゆる軍隊を打倒しよう、あらゆる国家を打倒しよう!ボゴタでもガザでも、権力は変わらない、闘争も変わらない権力は人殺しだ! CNT-AITフランスの活動家有志 資本主義は戦争です ! ==== 英語で : Against the global civil war, we need a social revolution in the world! フランス語で:CONTRE LA GUERRE CIVILE MONDIALE, REVOLUTION […]

【緊急寄稿】感染症×アナキスト(医療編)/海老原弘子

Anarchisme et santé, Isaad Puente / Anarchism and health, Isaac Puente 「感染症×アナキスト(医療編)〈アナキスト医師/イサック・プエンテ〉」 当センター通信で連載「テキスト×アナキスト」がスタートしたばかりの海老原弘子さんによる緊急寄稿「感染症×アナキスト」後編(医療編)を掲載します。*前編(教育編ーアナキスト教育者/フェレ・イ・グアルディア)はこちらから。 ベストセラー作家クロポトキン 《現代の学校》を創設したアナキスト教育者フランシスコ・フェレ・イ・グアルディアの敵は、カトリック教会だけではなかった。政治、 経済、文化と権威を頂点とするピラミッド型組織として成り立つ各界の大物の中に、フェレを憎んでいた者は数知れない。あらゆる権威を否定するフェレは、既存のスペイン社会全体にとっての「Persona non grata(好ましからざる人物)」だったのだ。 その一人が『大衆の反逆』の著者ホセ・オルテガ・イ・ガセットと並ぶスペイン哲学界の巨人ミゲル・デ・ウナムノだった。フェレを毛嫌いしていたようで、処刑に際して「フェレというくだらない人間が銃殺された。狂人、間抜け、臆病な犯罪者を混ぜ合わせたような輩だった」と公言して憚らなかった。とはいうものの、後年この件に関して「かつて私は罪を犯した。公正さという神聖なものに対して深刻な罪を犯した」と自らの言動を悔い改めることになる。 本稿で「アナキストの敵」とも言えるウナムノに登場いただいたのは、彼宛の書簡にクロポトキンの『麺麭の略取』について大変興味深い記述があるからだ。差出人はフランシスコ・センペレ。ショーペンハウアーやニーチェ、エンゲルスなどの著作をスペイン語訳で世に出したバレンシアの編集者である。センペレが1909年3月ウナムノに宛てた手紙では、自ら手がけた『麺麭の略取』スペイン語版のスペインとアメリカでの売上げについて言及しているのだが、その数なんと5万8千冊。それ以前にもバルセロナの三つの出版社が異なる版を出しており、20世紀初頭にはカタルーニャだけで5万冊近くが流通していたという。当時のスペインで聖書、あるいはセルバンテスの『エル・キホーテ』に次ぐ、歴史的ベストセラー作品と見なされたのも不思議ではない。 スペインの労働者がマルクスよりもクロポトキンを好んだのは、前者が難解な言葉で貧困の原因を説く一方で、後者は平易な言葉で何をすべきかを訴えたからだと言われる。貧困に苦しむ労働者が知りたいと思っていたのは、貧困を生み出すメカニズムではなく、貧困に対峙する方法だったのだ。労働者の必読書であったクロポトキンの著作を貪るように読んだ若者の一人が、後にアナキズム革命の基礎となるパンフレットを書くことになる。 スペイン風邪の襲来 スペイン史上、人口が減少に転じたのは現在までに二度。一度目が8万3千人余りを失った1918年、二度目が 5万人余りを失った1939年(市民戦争終結の年)といえば「スペイン風邪(スペインでは「ナポリの兵士」と呼ばれた)」の衝撃が想像いただけるだろう。最新の研究では1918-1920年にかけて人口の1.25%に当たる26万人が犠牲となったとされる。スペインに深い爪痕を残した感染症の流行は、生存ギリギリの生活を強いられてきた労働者階級を一層厳しい状況に追い込んだ。路上での抗議行動が増加の一途を辿り、1919年2月には44日間に渡ってバルセロナを完全な麻痺状態に陥れた「カナデンカのストライキ」として花開く。中央政府を8時間労働の法制化の実施に追い込んだこのストは、 アナルコシンディカリズム労働組合 CNT最大の功績として歴史に刻まれた。 1918年春にスペイン風邪が上陸すると、医学生は前倒しで卒業となって医療現場に送られた。そんな医者の卵の中にバスク出身のイサック・プエンテがいた。バリャドリッド(カスティーリャ・イ・レオン州)で医学を修めていたが、徴兵により軍医として医師のキャリアを開始。その後、生まれ故郷バスクのアラバ県にある小さな村マエストゥで市の正医師の職を得て、村医として生涯を終えることになる。ただ、現在でいうなら生活保護受給世帯を担当する医師にあたり、給与だけではとても生活できなかったため、ビトリア市の冶金工業会社の産業医を兼務していた。 1920年代に友人を通じて CNTを知り、1923年からアナキストの健康雑誌に《El médico rural/田舎の医者》の偽名で寄稿を始める。当時のアナキスト雑誌のラインナップに病気の予防に焦点を当てた記事を掲載する健康誌がいくつも並ぶのは、《Naturalismo/自然主義》の影響を色濃く受けたスペインのアナキストが健康を人間の幸福の基礎とみなしていたためだ。医師は患者の病気ではなく健康から生計を立てるべきだという発想から、雑誌を通じて衛生や病気予防のプロパガンダを行うことも医師の重要な仕事であった。 当時のアナキスト医師たちが最も心を砕いていたテーマは、労働者階級の死因の上位を占めていた結核。こうした感染症が蔓延する原因は、経済的困窮に起因する衛生管理の欠如や貧困な社会システムであると考えていた。貧困世帯や労働者の健康状態を熟知するプエンテも、感染症の撲滅に必要なのは特効薬でもワクチンでもなく、貧困を生み出す社会構造の変革だと主張するアナキスト医師の一人だった。 国家なき共産主義 プエンテは市民戦争勃発の前に 『El comunismo libertario (en oposición al de la URSS)/コムニスモ・リベルタリオ(ソ連の共産主義への異議申立として)』を書き上げていた。クロポトキンの影響の下、副題にあるように国家中心のソ連型共産主義を批判して、国家なき共産主義の実践モデルを具体的に提示した30ページに満たない冊子だ。 1917年、ロシアで革命が起こると、スペインのアナキストたちは歓喜に沸く。早速CNTは代表団を派遣するが、現地を視察した同志の報告を聞いて希望は失望に変わった。かの地では革命に協力したアナキストがことごとく弾圧されているというではないか。やはり、問題は国家なのだ。アナキストたちは、国家を中心にしたソ連の《Comunismo autoritario /権威主義的コムニスモ》に対抗して、反権威主義的な国家なき共産主義《コムニスモ・リベルタリオ》の実践モデルの具体化に知恵を絞る。こうして出てきた数々のアイデアの中にプエンテの著作があった。 彼によれば《コムニスモ・リベルタリオ》とは、国家や政治を必要とせずに経済問題を解消する制度であり、「各々が能力と必要性に合わせてできることを行う」ことで社会を動かしていく仕組みだ。国家も私有財産もなしに社会を組織するには、農業生産者や職人のように各自が独立して労働を行う農村の住民で構成される《Munincipio libre/自由市》と工場労働者のように作業工程を分担して共同で労働を行う都市の住民が参加する《Sindicato/労働組合》を柱にして、 逆ピラミッド型に社会を組織すれば良いと説く。病気とは貧困や経済格差によって生まれる《Enfermedades sociales/社会的な病気》であるから、 それらを生み出す原因となっている国家や経済システム、支配的なモラルを覆すことこそが根本的な解決策と信じていたプエンテにとっては、《コムニスモ・リベルタリオ》の実現に寄与することもまた、医師としての責務を果たすことに他ならなかった。 1933年の出版後何度も版が重ねられ、3年余りで約10万部が刷られたとされる。休憩時間に工場の敷地の片隅や畑の大きな木陰で、あるいは仕事の後地域の文化センター《Ateneu/アテネウ》で 、労働者たちは印刷物を通じて《La Idea/ラ・イデア》と呼ばれるアナキズムを吸収していった。こうして、いつしか彼らの頭の中で一つの新しい世界のモデルが共有されていく。1936年5月にサラゴサで開催された総会でCNTが採択した革命の基本方針は、 プエンテの《コムニスモ・リベルタリオ》に着想を得たものであった。 アナキズム革命 […]

AVEC LES TRAVAILLEURS JOURNALIERS ET LES SANS-ABRIS DE SAN’YA (Tokyo)

13/12/2020, 山谷労働者福祉会館活動委員会, Comité de solidarité avec les Sans Abris du Foyer de Yamtani (San’ya) Sanya a toujours eu une connotation négative dans la conscience de la population japonaise. A l’époque Edo (1600-1868), c’était là que se déroulaient les exécutions capitales, là aussi qu’avaient été relégués tous les travailleurs exerçant les métiers liés au sang et […]

チリの人々に自由を!

チリでは、2019年、新自由主義に抵抗する大規模なデモが行われました。そこで逮捕された人々は、不十分な嫌疑のもと、警察署で長期間の勾留を受けています。一方で、デモ参加者を拷問し殺害した警官は早々に保釈されました。これは国家による明白な弾圧です。

Uchiyama GUDO : le moine bouddhiste anarchiste et le crime de lèse-majesté

En novembre 1867, le Japon connait un tournant radical dans son histoire : alors que l’île vivait volontairement repliée sur elle-même,  fermée aux étrangers depuis plus de 120 ans, le dernier shôgun Tokugawa (1837-1912) abdique, restaurant tous les pouvoirs à l’empereur et mettant fin à l’isolationnisme. Sous le règne de l’empereur Meiji (1852-1912) – qui choisit […]

アナルコ・サンディカリストの行動綱領

アナルコ・サンディカリストは第一インター(国際労働者協会)以来の「労働者の解放は労働者自身の事業」を原理原則とするわけですが、このあるいみ愚直な指向は既存の「民主主義」なるものとしばしば激突します。とりわけフランスのサンディカリストたちは「労働者の経済的直接行動による革命」をかかげましが、これはブルジョア民主主義を否定する論理でもありました。(とはいえフランスでは、1936年に政労使コーポラティズムのとりきめであるマティニョン協定が人民戦線政権下に成立し、革命的サンディカリスムは逼塞していくことになるのですが) 民主主義の拒絶。そのこころは──エミール・プージェ(Émile Pouget, 1860 1931)の「直接行動」(L’action directe, 1910, パンフ書影)にそのエッセンスが展開されていますが、。

#FreeSoheil #拡散希望

1944年8月17日、フランスで一人のサンジカリストがファシストに殺された。そして、 2019年8月17日:イランのアナルコサンジカリストであるSoheil ARABIが<イランイスラム共和国に対する犯罪>でEvin(イラン)で逮捕され、死の淵にある。歴史を繰り返してはいけない! #FreeSoheil #拡散希望

最近の社会闘争におけるアナキスト [1996]

一九九〇年代の初めから、アナーキズム運動はフランスでまぎれ もない状況の好転を見ている。いくつかの鍵となる日づけがこの躍進の目印となる。一九九一年の湾岸戦争への反対、一九九四年のCI P( 就 職 契 約)案への反対運動、一九九五年秋の社会運動、一九九六年六月のリヨンにおけるG7サミットへの反対デモ、そしてー九九六年 夏のローマ教卓ヨハネHパウロ二世来仏への反対である。

Le Premier mai à Tokyo dans les années 1920

Le libertaire, 1er Mai 1931 LE LIBERTAIRE Souvenirs de 1er Mai au Japon Avant 1920, la manifestation du Premier Mai, au Japon, ne fut jamais autorisée par le gouvernement. Finalement, la décision du prolétariat japonais permit la célébration du Premier Mai. Voici les faits principaux- de la première (1920) à la dernière manifestation (1930) : […]