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根 源 的 想 念 の 哲 学, カストリアディス解読の試み

1996 年 11 月 1 日発行 発行 カストリアディス研究会〒 101 東京都千代田区神田神保町 2 – 4 8 協栄ビル2階 関一般 RRU-AIT 内 contact@cnt-ait.info 『ル・モンド』紙が報じた「カストリアディスとユートピアの精神」  残念ながらカストリアディスは、一九九七年十二月末にこの世を去った。それから三年余りがたつ。彼のあの自律社会の構想は、今どのように社会に受けとられているのだろうか。この三年間を振り返ってみると、彼の声価は改めて高まりつつあり、自律社会への関心も同様である、と思われる。ただそれは、まだ大衆的な運動の中ではなく、さしあたって出版界、学界においてである。 出版からあげるとすると、パリにある大学院大学である社会科学高等研究院での、一九八〇年から一九九五年に及ぶ、彼の講義録の刊行がはじまった。学生たちがとっていた録音をもとに編集されたもので、『プラトンの《政治家》について』(一九九四年、スーユ社)を皮切りに、『人間の創造』という総タイトルの下での一連の刊行が予定されている。二〇〇一年に入ってすぐ、注目されるものにジェラール・ダヴィッドの『コルネリュウス・カストリアディス、自律の構想』(ミシャン社)の出版がある。『リベラシオン』紙が好意的に紹介したこの書物は、彼の思想を簡潔かつ組織的にとりあげた、入門書としては好適なものである。ダヴィッドが三十九歳という若手の研究者であることは、カストリアディスを継承しようとする新しい世代が育ちつつある事実を示しているのかもしれない。   驚かされるのは、『レ・タン・モデルヌ』誌二〇〇〇年六・七・八月号が、百十頁余をさいて「なぜカストリアディスを読むか」という特集を組んだことである。この雑誌の創刊者であるジャン=ポール・サルトルを、カストリアディスが一九五〇年代から鋭く批判しつづけていたこと、ソ連やスターリン(ついで毛沢東)の擁護者としてほとんど罵倒、嘲弄していたことを思えば、時代の流れの変化に感慨を覚えざるをえない。 一方、マドリードの政治・文芸誌『アルチピェラゴ』も、現在カストリアディスの特集を準備中であると聞く。 学界についていえば、二〇〇〇年にはカストリアディスについてのシンポジウムが相次いだ。まずギリシアのクレタ島での、九月二十六日から三十日までの三日間に及ぶ、クレタ大学主催のもの。ついで十二月一日から三日までの三日間にわたる、ニューヨークのコロンビア大学フランス館でのもの。 特にこの後者は、何人かの著作家、精神分析家、編集者をのぞくと、アメリカ、フランス、ドイツ、イギリス、イタリア、アルゼンチンの、二十六の大学ないし研究機関の研究者を集めた、盛大な討論の場となった。このシンポジウムについては、『ル・モンド』紙(二〇〇〇年十二月十二日号)が、「カストリアディスとユートピアの精神」と題する報告をのせているので、今日カストリアディスの思想とその自律社会の構想がどのように迎えられているのか、の一端を示すものとして、その全文をここに訳出しておきたい。  「十の分科会、五十人の発言者、討論の三日間、三百人の聴衆。ステファン・バーク、アンドレアス・カリヴァス、フェルナンド・ウリドリによって計画され、この十二月初めにコロンビア大学(ニューヨーク)のフランス館が、一九九七年十二月二十六日の彼の死から三年をへて、コルネリュウス・カストリアディスに捧げたシンポジウムは、人がこの哲学者に表明することのできた、おそらくもっとも美しい敬意であった。カストリアディスの大著『想念が社会を創る』は、二十年前にスーユ社から刊行された。したがってフランスの偉大な著作がその真価を認められたのは、またしてもアメリカを経由してのことだった。それに驚くには当たるまい。フランスでは、(クロード・ルフォールとともに、一九六七年に解散した「社会主義か野蛮か」運動の創出者である)カストリアディスの思想は、まだしばしば流行遅れの「左翼急進主義」の一変種と見られている。それに反してアメリカでは、デーヴィッド・エイムズ・カーチスというすぐれた訳者の存在に恵まれて、彼の思想は単に「急進的な」知識人たちのみならず、もっと広い形で多くの社会科学研究者の関心を集めているのである。 隅から隅まで政治的な、彼の思想の重要性は、第一に明晰さと結びついていることである。その明晰さをもって彼の思想性は、マルクス主義を拒絶している(アグネス・ヘラー)。討論を要約してみよう。マルクスにとっては、──それ自身が技術の無限の進歩によってもたらされる──生産力の発展が、与えられた生産様式の中で不変の、生産諸関係の構造と矛盾せざるをえない。そこからマルクスの三つの確信が由来している。資本主義の核心にある矛盾はついに「手に負えない」ものになる。資本主義は革命によって廃止されるだろう。革命が生ずるのはプロレタリアートの存在によってである。幻想の確信だ、とカストリアディスは指摘する。というのも、マルクスの死後も、資本主義は発展することを、止めなかったからである。したがって革命は、いささかも不可避のものではない。さらに悪いことがある。革命が起きたまさにその場所で、革命は失敗した。なぜなら、革命が国家資本主義をしか生まなかったからであり、そこでは官僚階級がかつてのブルジョアジーの地位を占めている。この(一九四〇年代の終わりから概略を示しはじめた)分析は、しかしながらカストリアディスが「革命家」を、さらには「社会主義者」を名乗ることを、さまたげるものではなかった。ただ彼にとっては、「マルクス主義」と「革命」とがもはや両立しえないことが、明白だったのである。彼は、ディック・ハワードがのべたように、「反全体主義者な」左翼(「左翼の左翼」とさえ)呼びうるであろう傾向の、典型的な代表者なのである(「左翼の左翼」という表現がフランスで、まだマルクス化している一派を連想させないとすれば、だが)。 では、いま、ここで「革命家」であるとは、どういうことなおだろう。答えは、われわれの生きている主要な「支柱」の根底的な転換なしには、うまくいかないし、改善もなしえない、あまりにも多くの事柄があるのを、確認することである。具体的には、われわれに必要なのは、生産の組織が生産者自身にゆだねられる体制であり、それによって官僚階級を排除するとともに、社会生活の他のあらゆる領域にただちに影響を及ぼす、大変革である。その意味で問題なのは、経済的自己管理へのアッピールであり、この自己管理はそれ自身、より大きな個人的自律の要求に役立つものである。 定義するのがむつかしい観念、カストリアディスによる自律は、──フランシスコ・ヴァルラ、ジャン=ピエール・デュピュイが強調するように──(実現し得ない)自足とも、(カント的な意味での)普遍法の理性による発見とも、何の関係もない。それはむしろ「自由の深淵への徹底した潜航」(エドガール・モラン)である。譲歩することのない無神論者、アテネ型直接民主制の熱心な賛美者(セイラ・ベンハビブ)であるカストリアディスは、世界でただ一人のものとしてある人びとにとって、自分たちの全的な開花への深い必要に応えるよう世界をととのえること以上に、最善のものは何一つないと信じている。よいにせよわるいにせよ、何らかの社会は、カストリアディスにとって、いかなる必然的な「法則」(特に経済の法則と称するもの)に従っていない、共同の自己発見の、「自己創出」の、産物以外のものではない。したがってユートピア(わが哲学者が使うのを避けた用語)を人工的に望む必要はない。われわれが、われわれの行動の一つ一つによって共同の自己発見に生命を与える、と考えれば足りるのである。その生命は、われわれの行動がより意識的になりさえすれば、それだけでますます充実したものになる。「私」が「エス=それ」(1)があった場所に──社会の水準でも個人の水準でも──生じた時に、である。アンドレ・グリーンからピーター・デュウズにいたる、エルネスト・ラクロやフェルナンド・ウリバリを含む、多数の発言者が、反ラカン主義者だが断固としたフロイト派であったカストリアディスが、(その生涯の第二の時期に職業的に実践していた)精神分析に抱いていた関心を強調したのは、偶然のことではない。事実、カストリアディスが「根源的想念」と名づけ、かれが心象としてではなく意味作用を発明する力として定義した、あの実在物を考慮することをおろそかにしたとすれば、自律を具体的に考えることはできないであろう。無意識はその中でのあらゆる実現の一つでしかない。(ウリバリ)根源的想念は、結局、社会的ないし歴史的な創造の中で働く人間の力以外の何ものでもない。したがって根源的想念によって、根源的想念によってのみ、われわれは何ものかを「革命」として期待することができるのである。 残されているのは、革命がなおも可能であるかを知ることである。カストリアディスはほとんど幻想を抱かなかった。彼が人間についての定義として、マルクスのもの(経済的動物******)よりもアリストテレスのもの(政治的動物******)を好んだとしても、歴史の中で人間が十全にその「政治性」****を発揮する時期がまれであることを、彼はよく知っていたのである(ロベール・ルドケール)。にもかかわらず彼は、創造性の哲学者、絶対的な新しさの思想家(ハンス・ヨーアス)である彼は、経済的、政治的な組織についてはすべてが、あるいはほとんどすべてが、可能なものとして開かれている、と力説している。このユートピアの精神へのアッピール以上に今日、人びとを強壮にするものは何一つない。                クリスチャン・ドラカンパーニュ」。  この『ル・モンド』紙の論評は、カストリアディスの思想を限られた紙面に手際よくまとめている。彼の著作に未知な人にとっては、どんな点に着眼して彼を読んだらいいのか、手引きにもなっている。しかし彼の思想にこれまで親しんできたものにとっては、伝えられたシンポジウムの内容は、特に目新しいものではない。むしろ五十年前、三十年前の彼の仕事を確信し評価しているだけなので、何を今更という思いもする。 とはいえ、肩すかしをされたと感ずるよりも、ある傑出した思想が社会に定着してゆく長い歳月を要する過程の現場に、いま立ち会っているのだと受けとるべきなのであろう。ニューヨークのシンポジウムに二十六の大学ないし研究機関の研究者が集まったということは、少なくともそれだけの数の学術の場で、カストリアディスの研究が始まっていることを意味するし、彼の著作が古典になりかけていることを意味する。これは、カストリアディスの思想に共感を持ってきたわれわれにとって、歓迎すべきことであるに違いない。しかし必ずしも喜んでばかりはいられない気持ちもする。彼の思想は、大学で研究され、解釈され、講義され、賛美されればそれですむ、という思想ではないからである。 むしろ、単に研究や解釈の対象、賛美の対象に終わるならば、カストリアディスの思想は死ぬ。彼の思想は、真理を語り、その信奉者を求めているのではない。人びと一人一人が自律的であることをうながしている思想である。人びと一人一人が、現在に疑問を持ち、自分で考え、自分で発見し、何かしらの自発的な行動に移ってゆく、そのことをうながしている思想家である。さらにいえば、あなた方一人一人が自律的である時、私もまたより自由になる、と告げている思想である。その意味で彼の思想は、カストリアディスの名がもはや記憶から消えた時、人びと一人一人が自分になろうとする時、はじめて生きたものになる。 したがって、大学ではなく人びとの日々の暮らしの場、社会的な運動の場にこそ、カストリアディスの思想はふさわしい。そう考えれば、彼の死後三か年に見られる出版界、学界での評価の高まりは、彼の思想が人びとの間で血肉化してゆく、長い長い過程の、はじまりのはじまりにすぎない。  (1)フロイトの用語。ドイツ語ではエス。フロイトは心的過程を、超自我、自我、エスの三つに分けた。前二者は無意識的なものでもあるが、意識的なものでもありうるもの。それに対しエスは、全く無意識的な領域で、フロイトは「エスは混沌」で「自我の対立物である」といっている(『精神分析入門、下』新潮文庫、第三十一講「心的人格の分析」参照)。訳者注。 ジェラール・ダヴィッド著『コルネリウス・カストリアディス』  先にふれたダヴィッドの新著の目次を、参考までにここにあげておくことにする。カストリアディスの思想の全体像が概観できるし、さらにまた、われわれが自律的な社会を作りだしてゆく上での課題を明示してもいるからである。 序文  カストリアディスの哲学的企図、人間の創造力を考えること。自律の構想と徹底した民主主義の要求。Ⅰ 「社会主義か野蛮か」と自律についての考察の前提  スターリン主義批判から、「官僚制資本主義」の理論へ     「社会主義か野蛮か」、その状況と企図。スターリン主義の批判と官僚制資本主義の分析。現代資本主義。  マルクス主義批判    マルクス経済理論の批判。マルクス主義の歴史的・政治的批判。マルクス主義の哲学的批判。マルクス主義との決別、その意味と含み。  継承され再点検された革命の要求    官僚制に対抗する労働者管理。社会主義の内容。革命運動の転換のために。革命の構想を考え直すこと。Ⅱ 自律、社会転換構想の新しい像  社会の明白で絶え間ない自己=創出、革命構想の新しい目標    制度化された他律に対抗し、社会と社会自身との新しい関係を樹立すること。哲学的背景、「想念が社会を創る」ことの考察。自己=疎外に対する明白な自己=創出。  自律、実践、政治    自律の思想。実践、自律的で創造的な活動。社会の既存の制度を明白に問い直す政治。  「自律社会」の構想    自律社会、存在論的創造と政治的構想。自律社会存在の諸条件。自律社会と革命。  社会、個人、パイディア、人類学的変化の過程    社会、個人、文化の循環関係。自律的な主体。自律への社会化とパイディアの役割。自律に向かっての社会の転換、人類学的変化。Ⅲ 自律の構想、真の民主主義への運動  自律の構想、連続する社会・歴史的創造    伝統と遺産。ギリシャの「芽」、民主主義の創造。自律と民主主義の要求の社会・歴史的な継続。  自律社会の基本的な諸価値と諸原則    軸になる諸価値、自由、平等、正義。共同の自律という思想の規範的帰結。  自律社会の具体的構造化と運営    共同管理の思想の社会・政治的な結果、労働者評議会の制度。社会・政治的な諸領域の連結と公/公的領域を真に公的なものにする要求。  自律社会、真の民主主義    自律社会と真の民主主義の同一性。制度としての民主主義。民主主義、悲劇的な制度。民主主義、熟考性、創造性。  真の民主主義樹立の諸条件    政治、自律に向けての個人と共同の行動。パイディアと民主主義の人類学的基体。社会の徹底した民主的な転換、錯綜とした過程。  自律社会の正当化    自律の構想の社会・歴史的な有効性。自律の構想の「法的有効性」。自律の構想の普遍性。Ⅳ 民主主義的な自律、今日のための政治的構想  西欧の近代性    現代という文脈の背景、近代性。自律対合理的制覇の無限の発展。近代西欧の政治的特殊性。  現代の諸社会    現代の官僚制的資本主義。社会と文化の危機。かげる自律の構想。現代諸社会の批判。  どんな民主主義か?    自律の構想、現実への視点とわれわれにとっての目標。民主主義の構想、自律の構想の政治的形態。個人と共同の自律に向けての参加型民主主義。  民主主義的自律の今日、われわれにとっての挑戦    自律への諸傾向と「実践の輪」。自律的・民主的な動員の必要と諸条件。経済の格下げと階級制への徹底した批判。民主的よみがえりのために。エピローグ   ダヴィッドの本の構成について、蛇足を少し。Ⅰ章は、カストリアディスの一九四〇年代末から六〇年代半ばまでの作業、ソ連社会分析からマルクス主義批判を深め、新しい革命像を提示するまでを扱っている。ついでマルクス主義を生みだしたギリシャ・西欧思想史総体を再点検する沈黙の十年が来て、根源的想念にもとづく哲学が構築される。その哲学的作業が自律の思想にいかに新しさを与えたのか、がⅡ章の主題。つづく二章は自律社会を目指す実践をめぐり、Ⅲ章では原理的に、Ⅳ章においては現代の状況を前にして、語っている。 エピローグでは、「自律の構想」は長年にわたる社会運動の伝統を継承したもので、決して非現実的なものではない、と次のように強調している。 「社会の徹底した民主的転換を目指す包括的な政治構想としての、自律の構想が今日、……圧倒的な関心の的になっていると見るのは、無邪気にすぎよう。しかしそれでは、あの構想は非現実的なのだろうか。 われわれがその相続人である一連の創造──解放を求め支配に反対した社会的・政治的闘争の長い豊かな伝統によってもたらされた、自由・自省・自己統治の構想──の中に加えられるあの徹底して民主的な構想は、ユートピアではない。それは、否定しえない将来への役割を含んでいる。それに対し厳密な意味でのユートピアは、全く別のものである。それは時空の外にあり、既存の諸現実と何の関係もない。……… その現実と無関係だという事情は、カストリアディスが推進する自律については、いささかも同じではない。それは、思想においても現実においても、地上のエデンの園の建設とは何のかかわりもない。それは、政治的選択を表明するある解釈に明確にもとづいた、構想なのである。ただその存在理由、その必要性、その正当化は、彼が生み出せなかった現実の基盤の中に見出される。すなわち、社会の多様な危機、多数の個人ないし社会的グループによる体制への明白な、あるいは暗々裡の異議申し立て、自律に向かう実際の諸傾向の中に、である。……」。 さらに著者は、自律の構想が直面するさまざまな困難について語りながら、「民主的な運動の再生は、政治的組織の新しい形態の創造に助けられねばならないであろう」という、カストリアディスの言葉を引いている。その上でわれわれの任務として、「問題の再生の諸条件を明らかにすること、それなしには自律の構想も真の民主主義も単に言葉でしかない、個人と共同の実践に実体を与えること」、をあげている。

『労働運動』, 大杉榮 (Ōsugi Sakae)

1919年10月、日本において新聞『労働運動』が創刊された。この月刊誌は、日本のアナキスト大杉栄によって編集された。同紙は1921年6月に廃刊となったが、同年12月にアナキズムとアナルコ・サンディカリズムの立場のみを掲げて復刊した。En octobre 1919, au Japon, sortie du premier numéro du journal « Rôdô Undô – The Labor Movement » (Le Mouvement Ouvrier). Publication mensuelle éditée par l’anarchiste japonais Sakae Osugi. Le journal cessera sa parution en juin 1921 pour la reprendre en décembre de la même année, sur une position exclusivement anarchiste et anarcho-syndicaliste. La gazeto « Rôdô […]

スーダンの蛮行:スーダンのアナキストから必死の支援要請!

2024年4月23日 تدعوكم مجموعة اناركيين السودان للتضامن معها لكي تستطيع مواصلة نشاطها التحرر (訳註:翻訳に際しては仏語原文も参照しました。スーダンの情勢については拙訳「スーダン:軍事独裁に対抗するアナキスト」(2022年1月13日掲載)と「亡命中のスーダン人アナキストの支援」(2023年8月26日掲載)もご参照ください。) 内容に関する警告:レイプを含む戦争犯罪の記述が含まれています。 Anarchosyndicalismeの以前の号で、CNT-AITはスーダンのアナキストによる連帯の呼び掛けに賛同した。(原註1) 2023年4月15日に2つの軍事派閥--国軍と即応支援部隊(別名ジャンジャウィード民兵)--の間で激しい戦争が勃発して以来、民間人は「無慈悲で無意味な紛争」のために「純然たる恐怖」の中で生活しており、国連はこの紛争に対する世論の無関心を非難している。少なくとも15000人が死亡し、26000人以上が負傷しているが、この数字は明らかに過小に見積もられている。 国内難民が1100万人、亡命者が180万人、1800万人が深刻な飢餓に瀕している。800万の労働者が仕事と収入を失った。70%の地域に水も電気もない・75%の病院が破壊された・1900万の学生が勉学を止めた・600の工業プラントと110の銀行が破壊され略奪された・農業の65%は破壊された・世界最大のゲジラ灌漑地区では投入資材(肥料・農薬・農耕機械・収穫機)の80%が略奪され、破壊された、等々である。 スーダンについてメディアも活動家も沈黙している。この沈黙が両陣営の兵士達が処罰されずに虐殺できるようにしている。2つの氏族間の紛争には様々な要素がある。(国連によれば)相互虐殺の証跡を伴う民族的要素。敵対する2つのグループそれぞれが天然資源と戦略的位置のためにスーダンを欲しがる様々な外国権力に支援されているという「帝国主義」要素。しかし、何よりもこれは「反革命」戦争だ。この国を火の海にし、血塗れにして、市民・民主革命の希望を打ち砕いた。そして、革命の活動家の多くを亡命に追いやった。この戦争は、この国を完全に不安定化することで、前政権の指導者たちが、何十年も(軍事独裁政権中に、その後のクーデターの際に)犯してきた犯罪の審判を受けずに権力の座に居続けられるようにしているのだ。 アナキスト同志が参加する「革命委員会」は活動を継続しようとしているものの、2つの軍事派閥による暴力の激化とともに、ますます難しくなっている。 連帯のアピールを受けて、私達は1200ユーロ以上のお金を受け取り(その内200ユーロはクルド語圏アナキスト゠フォーラム、KAFの同志達からである)、スーダンの同志達に渡すことができた。この連帯のおかげで、毛布・衛生用品(生理用ナプキン・石鹸・歯磨き粉)・乳児用ミルクといった人道的配給を手配できるようになった。子供の受け入れエリアを設け、お絵かき教材と初等教育教室を備えて子供達に戦争の狂気から逃れる機会を提供した。 しかし、今日、情況のために不可能になりつつある。軍事グループの暴力が解き放たれている。ジャンジャウィード民兵は民間人に対して野蛮人のように行動している。奴等は、同志のサラをレイプし、殺した。一方、国軍兵士は革命家をジャンジャウィードと同盟していると非難して逮捕し、拷問する。同志達はすぐにでも近隣諸国に避難場所を見つけねばならない。私達は今、彼等の必死の訴えを国際アナキズム運動に伝えているのだ。 寄付を希望されるなら、CNT AITを振り出し先とした小切手を、CNT-AIT 7 rue St Rémésy 31000 TOULOUSEにお送り頂くか、ペイパルで送金して頂きたい。 تدعوكم مجموعة اناركيين السودان للتضامن معها لكي تستطيع مواصلة نشاطها التحرر スーダンの革命的同志から全世界のアナキストへ! 政権が栄光ある12月革命を破壊し、解体しようとした後、4月15日戦争の勃発で、1500万のスーダン人の強制退去・全住民の苦難・飢饉の発生・人道情況の悪化が引き起こされています。そして、今、イスラーム旅団が革命家を標的とした作戦を開始し、数多くの人々を逮捕し、屈服させています。 スーダン人アナキスト゠グループは、私達が偉大な解放活動を継続し、海外も含めて再開できるよう、皆さんに私達への連帯の表明を呼び掛けます。 恣意的逮捕の脅威にさらされている同志をこの国から脱出できるようご支援下さい。 ファシスト軍事政権を打倒せよ、ジャンジャウィード旅団を打倒せよ! 革命家の逮捕をやめろ、革命家の拷問をやめろ! 12月の自由革命万歳! ゠゠゠゠゠゠゠(原註1)スーダン:何千人もの避難民が避難するワドメダニに戦闘が及ぶ。スーダンのアナキストは緊急連帯を呼びかけている。https://cnt-ait.info/2023/12/22/wad-madani゠゠゠゠゠゠゠ スーダンの人々と連帯するには? 個人でも少人数でも、できることは多くある。重要なのは、可能な限り多くの人が現地で何が起こっているのか知ってもらうために、スーダンについて話すことだ! 1)SudfaMedia(仏語)を通じてスーダンの最新情況を把握する。 2)contact@cnt-ait.infoに連帯メッセージを送り、私達がスーダンのアナキスト同志に転送する。 3)ソーシャルメディアで家族・友人・仕事仲間とスーダンとその革命、軍・即応部隊・イスラーム原理主義の忌まわしい行為について話す。現状に関する4ページの解説はこちらからダウンロードできる(仏語)。連帯リーフレットのダウンロードはこちら(英語)。 4)リーフレット(仏語)の配布・記者会見・連帯募金・スーダン民衆と連帯し虐殺に反対するイベントなどを組織する。 ゠゠゠゠゠゠ […]

2024年パリオリンピックに反対するデモ

12月2日、フランス全土で2024年夏季五輪と2030年冬季五輪の両方に反対する抗議が行われた。多くの活動家が環境破壊に抗議した。ある看板にはこう書かれていた: 「私の税金はオリンピックではなく、年金に使ってほしい」 「2024年パリ五輪の警備員として働くようポーレ・エンプロイ社からの圧力に抵抗している不安定労働者の相互扶助のために!良心的兵役拒否の権利!@CNTAIT は午後2時からパリで開かれる雇用不安に反対する失業者の集会でビラを配る。 @hangorinnokai

「その目的が資本主義システムの打倒でない限りは、いかなる戦争も正当化できない/エマ・ゴールドマン」

« Aucune guerre ne peut être justifiée si son but n’est pas de renverser le système capitaliste / Emma Goldman. » « No war can be justified unless its purpose is to overthrow the capitalist system / Emma Goldman. » « Ninguna guerra puede justificarse a menos que su propósito sea derrocar el sistema capitalista / Emma Goldman ». « Neniu milito […]

ロシア軍はウクライナ全土から撤退しろ!/ Russian troops withdraw from all over Ukraine!

ロシア軍はウクライナ全土から撤退しろ!ロシア・欧米・日本帝国主義はウクライナをめぐる争奪戦を止めよ!世界のプロレタリアートはウクライナ・ロシアのプロレタリアートと団結して、侵略戦争を止めよう!地球上から帝国主義、国家主義を一掃しよう! Russian troops withdraw from all over Ukraine! Russia, Europe, America and Japanese imperialism stop the battle for Ukraine! Let’s stop the war of aggression by uniting the world’s proletariat with the Ukrainian and Russian proletariats! Let’s wipe out imperialism and nationalism from the earth!

Arrêtez la guerre hégémonique ! 自由労働者連合声明:覇権主義による戦争を阻止しよう!

Arrêtez la guerre hégémonique ! (2022.02.24) La Fédération des travailleurs libres d’Osaka (Japon) condamne fermementl’intervention militaire de la Fédération de Russie et de l’OTAN enUkraine. La Fédération de Russie devrait immédiatement retirer sestroupes de la frontière, de la région du Donbass et dela péninsule de Crimée. L’OTAN doit arrêter son expansionnisme. Que les travailleurs ukrainiens […]

グルーバルな内戦に対抗するために、世界中で社会革命が必要だ!

CNT-AITフランスの活動家有志による声明「グルーバルな内戦に対抗するために、世界中で社会革命が必要だ!」(Against the global civil war, we need a social revolution in the world! by Some activists of CNT-AIT France) http://kansaianarchismstudies.blogspot.com/2021/05/against-global-civil-war-we-need-social.html 原文掲載日:2021年5月13日 原文:https://cnt-ait.info/2021/05/13/civil-war/著者:CNT-AITフランス 2021年5月12日、ガザの民間人が残虐な軍事攻撃を受けた。イスラエルでは耐え難いほどのリンチ殺人も行われており、私達はその光景を目の当たりにしている。 権力による人間性に対する犯罪によって民間人・女性・子供たちが虐殺されるのは、これが歴史上初めてではないし、ガザが世界で唯一の場所というわけでもない。現在起こっていることの例を挙げよう: ・公式の統計(FAO、国連食糧農業機関)によれば、世界で毎日2万5千人が餓死しており、その内1万人は子供たちである!・コロンビアでは、4月28日以来、軍・警察・民兵団が社会的不公正に対して叛乱を起こしている人々を暗殺し、何の罰も受けていない。・あらゆる「民主的国家」が見捨てたシリア北部のロジャヴァで、革命家達が、トルコ軍と大量殺戮を繰り返すイスラム原理主義者とに単独で立ち向かっている。・イエメン、新疆ウイグル自治区、ビルマ、シリア、ベネズエラで、何百万もの民衆が強制退去させられたり、拷問されたり、虐殺されたりしているが、ほとんど知られていない。 こうした蛮行全てを永続させているのが国家と政治家である。国家も政治家も私達の苦しみから利益を得ている資本主義システムを支持しているのである。 ガザ地方で爆撃を受けた被害者との連帯を表明する大規模な運動は、権力が利用するあらゆるイデオロギー、つまりナショナリズムと宗教こそがこの殺人論理の支柱になっていることを忘れてはならない。この論理が人々を互いに殺しあうようにさせ、世界の指導者に利益をもたらしているのである。 香港からスーダンやアルジェリア、チリからフランスのイエローベストまで、民衆叛乱は世界を揺るがし、殺人的社会システムに対する世界規模の闘争に拡大している。現在のガザ住民との連帯は、こうした全ての民衆叛乱と共にあると表明すべきである。そうすることで、我々の連帯はより強く、より手ごわいものになるだろう。 ガザでも他の場所でも虐殺を防ぐことは、国や国境のない世界を求めて戦うことである。だからこそ、戦争に反対し、IDF(イスラエル国防軍)の制服着用を拒否しているイスラエルの友人に私達は敬意を表する。私達は、腐りきった国家に対して見事な闘争を主導しているコロンビアの同志達に敬意を表する。私達は、大量虐殺という蛮行と戦っているロジャヴァの友人達に敬意を表する。そして、もっと広く言えば、様々な場所で、いかなる譲歩もせずに平和と自由を擁護し、友愛を持って集まり、国境を超えて団結している人々皆に敬意を表するのである。 あらゆる軍隊を打倒しよう、あらゆる国家を打倒しよう!ボゴタでもガザでも、権力は変わらない、闘争も変わらない権力は人殺しだ! CNT-AITフランスの活動家有志 資本主義は戦争です ! ==== 英語で : Against the global civil war, we need a social revolution in the world! フランス語で:CONTRE LA GUERRE CIVILE MONDIALE, REVOLUTION […]

【緊急寄稿】感染症×アナキスト(医療編)/海老原弘子

Anarchisme et santé, Isaad Puente / Anarchism and health, Isaac Puente 「感染症×アナキスト(医療編)〈アナキスト医師/イサック・プエンテ〉」 当センター通信で連載「テキスト×アナキスト」がスタートしたばかりの海老原弘子さんによる緊急寄稿「感染症×アナキスト」後編(医療編)を掲載します。*前編(教育編ーアナキスト教育者/フェレ・イ・グアルディア)はこちらから。 ベストセラー作家クロポトキン 《現代の学校》を創設したアナキスト教育者フランシスコ・フェレ・イ・グアルディアの敵は、カトリック教会だけではなかった。政治、 経済、文化と権威を頂点とするピラミッド型組織として成り立つ各界の大物の中に、フェレを憎んでいた者は数知れない。あらゆる権威を否定するフェレは、既存のスペイン社会全体にとっての「Persona non grata(好ましからざる人物)」だったのだ。 その一人が『大衆の反逆』の著者ホセ・オルテガ・イ・ガセットと並ぶスペイン哲学界の巨人ミゲル・デ・ウナムノだった。フェレを毛嫌いしていたようで、処刑に際して「フェレというくだらない人間が銃殺された。狂人、間抜け、臆病な犯罪者を混ぜ合わせたような輩だった」と公言して憚らなかった。とはいうものの、後年この件に関して「かつて私は罪を犯した。公正さという神聖なものに対して深刻な罪を犯した」と自らの言動を悔い改めることになる。 本稿で「アナキストの敵」とも言えるウナムノに登場いただいたのは、彼宛の書簡にクロポトキンの『麺麭の略取』について大変興味深い記述があるからだ。差出人はフランシスコ・センペレ。ショーペンハウアーやニーチェ、エンゲルスなどの著作をスペイン語訳で世に出したバレンシアの編集者である。センペレが1909年3月ウナムノに宛てた手紙では、自ら手がけた『麺麭の略取』スペイン語版のスペインとアメリカでの売上げについて言及しているのだが、その数なんと5万8千冊。それ以前にもバルセロナの三つの出版社が異なる版を出しており、20世紀初頭にはカタルーニャだけで5万冊近くが流通していたという。当時のスペインで聖書、あるいはセルバンテスの『エル・キホーテ』に次ぐ、歴史的ベストセラー作品と見なされたのも不思議ではない。 スペインの労働者がマルクスよりもクロポトキンを好んだのは、前者が難解な言葉で貧困の原因を説く一方で、後者は平易な言葉で何をすべきかを訴えたからだと言われる。貧困に苦しむ労働者が知りたいと思っていたのは、貧困を生み出すメカニズムではなく、貧困に対峙する方法だったのだ。労働者の必読書であったクロポトキンの著作を貪るように読んだ若者の一人が、後にアナキズム革命の基礎となるパンフレットを書くことになる。 スペイン風邪の襲来 スペイン史上、人口が減少に転じたのは現在までに二度。一度目が8万3千人余りを失った1918年、二度目が 5万人余りを失った1939年(市民戦争終結の年)といえば「スペイン風邪(スペインでは「ナポリの兵士」と呼ばれた)」の衝撃が想像いただけるだろう。最新の研究では1918-1920年にかけて人口の1.25%に当たる26万人が犠牲となったとされる。スペインに深い爪痕を残した感染症の流行は、生存ギリギリの生活を強いられてきた労働者階級を一層厳しい状況に追い込んだ。路上での抗議行動が増加の一途を辿り、1919年2月には44日間に渡ってバルセロナを完全な麻痺状態に陥れた「カナデンカのストライキ」として花開く。中央政府を8時間労働の法制化の実施に追い込んだこのストは、 アナルコシンディカリズム労働組合 CNT最大の功績として歴史に刻まれた。 1918年春にスペイン風邪が上陸すると、医学生は前倒しで卒業となって医療現場に送られた。そんな医者の卵の中にバスク出身のイサック・プエンテがいた。バリャドリッド(カスティーリャ・イ・レオン州)で医学を修めていたが、徴兵により軍医として医師のキャリアを開始。その後、生まれ故郷バスクのアラバ県にある小さな村マエストゥで市の正医師の職を得て、村医として生涯を終えることになる。ただ、現在でいうなら生活保護受給世帯を担当する医師にあたり、給与だけではとても生活できなかったため、ビトリア市の冶金工業会社の産業医を兼務していた。 1920年代に友人を通じて CNTを知り、1923年からアナキストの健康雑誌に《El médico rural/田舎の医者》の偽名で寄稿を始める。当時のアナキスト雑誌のラインナップに病気の予防に焦点を当てた記事を掲載する健康誌がいくつも並ぶのは、《Naturalismo/自然主義》の影響を色濃く受けたスペインのアナキストが健康を人間の幸福の基礎とみなしていたためだ。医師は患者の病気ではなく健康から生計を立てるべきだという発想から、雑誌を通じて衛生や病気予防のプロパガンダを行うことも医師の重要な仕事であった。 当時のアナキスト医師たちが最も心を砕いていたテーマは、労働者階級の死因の上位を占めていた結核。こうした感染症が蔓延する原因は、経済的困窮に起因する衛生管理の欠如や貧困な社会システムであると考えていた。貧困世帯や労働者の健康状態を熟知するプエンテも、感染症の撲滅に必要なのは特効薬でもワクチンでもなく、貧困を生み出す社会構造の変革だと主張するアナキスト医師の一人だった。 国家なき共産主義 プエンテは市民戦争勃発の前に 『El comunismo libertario (en oposición al de la URSS)/コムニスモ・リベルタリオ(ソ連の共産主義への異議申立として)』を書き上げていた。クロポトキンの影響の下、副題にあるように国家中心のソ連型共産主義を批判して、国家なき共産主義の実践モデルを具体的に提示した30ページに満たない冊子だ。 1917年、ロシアで革命が起こると、スペインのアナキストたちは歓喜に沸く。早速CNTは代表団を派遣するが、現地を視察した同志の報告を聞いて希望は失望に変わった。かの地では革命に協力したアナキストがことごとく弾圧されているというではないか。やはり、問題は国家なのだ。アナキストたちは、国家を中心にしたソ連の《Comunismo autoritario /権威主義的コムニスモ》に対抗して、反権威主義的な国家なき共産主義《コムニスモ・リベルタリオ》の実践モデルの具体化に知恵を絞る。こうして出てきた数々のアイデアの中にプエンテの著作があった。 彼によれば《コムニスモ・リベルタリオ》とは、国家や政治を必要とせずに経済問題を解消する制度であり、「各々が能力と必要性に合わせてできることを行う」ことで社会を動かしていく仕組みだ。国家も私有財産もなしに社会を組織するには、農業生産者や職人のように各自が独立して労働を行う農村の住民で構成される《Munincipio libre/自由市》と工場労働者のように作業工程を分担して共同で労働を行う都市の住民が参加する《Sindicato/労働組合》を柱にして、 逆ピラミッド型に社会を組織すれば良いと説く。病気とは貧困や経済格差によって生まれる《Enfermedades sociales/社会的な病気》であるから、 それらを生み出す原因となっている国家や経済システム、支配的なモラルを覆すことこそが根本的な解決策と信じていたプエンテにとっては、《コムニスモ・リベルタリオ》の実現に寄与することもまた、医師としての責務を果たすことに他ならなかった。 1933年の出版後何度も版が重ねられ、3年余りで約10万部が刷られたとされる。休憩時間に工場の敷地の片隅や畑の大きな木陰で、あるいは仕事の後地域の文化センター《Ateneu/アテネウ》で 、労働者たちは印刷物を通じて《La Idea/ラ・イデア》と呼ばれるアナキズムを吸収していった。こうして、いつしか彼らの頭の中で一つの新しい世界のモデルが共有されていく。1936年5月にサラゴサで開催された総会でCNTが採択した革命の基本方針は、 プエンテの《コムニスモ・リベルタリオ》に着想を得たものであった。 アナキズム革命 […]

AVEC LES TRAVAILLEURS JOURNALIERS ET LES SANS-ABRIS DE SAN’YA (Tokyo)

13/12/2020, 山谷労働者福祉会館活動委員会, Comité de solidarité avec les Sans Abris du Foyer de Yamtani (San’ya) Sanya a toujours eu une connotation négative dans la conscience de la population japonaise. A l’époque Edo (1600-1868), c’était là que se déroulaient les exécutions capitales, là aussi qu’avaient été relégués tous les travailleurs exerçant les métiers liés au sang et […]

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